このページでは、世間を大きく騒がせた不倫殺人事件「日野OL不倫放火殺人事件」について、事件の詳細を分かりやすくお伝えした上で、この事件から得られる様々な教訓について考えていきたいと思います。
おそらく、女性の方々にとっては、色々と感じることの多い事件だと思います。
また、男性の方々に対しては、”女性との付き合い方を改めて見直す”という啓蒙の意味を込めて、お伝えしてまいります。
- 中絶することがその女性に与える影響について理解する
- 不倫をする男と女、不倫された妻の心理を理解する
- 加害者、被害者の罪と罰について考える
◆Contents
日野OL不倫放火殺人事件の概要
はじめに、日野OL不倫放火殺人事件の概要からお伝えします。
事件は12月、冬の日の朝、犯人であるOL女性が、元不倫相手だった男とその妻の不在時に自宅へ侵入したことからはじまります。
そして、侵入した犯人のOL女性は、その元不倫相手一家の自宅内にガソリンをまいて全焼させ、就寝中だった子供2人までも焼殺させました。

ただ、この事件は、単純な放火事件というだけではなく、事件発生に至るまでに不倫を通じた人間関係・経緯がありました。
そのひとつが、犯人となるOL女性に対して、妻との離婚をにおわすウソや甘言をささやいて、2度の中絶までさせた不倫男の存在。

さらには、不倫が発覚した後、連夜のごとく罵詈雑言を浴びせた末に、OL女性の中絶をあざ笑った不倫相手の妻の存在がありました。

それでは、続いて、事件に関係する登場人物と、経緯をお伝えしてまいります。
日野OL不倫放火殺人事件の登場人物
北村 有紀恵

不倫相手、事件の犯人。
最終的に、無期懲役が確定。
小学校から大学まで学業優秀、性格は明るく、几帳面で、何事にもまじめに取り組むタイプだった。
中高一貫の私立女子高に通い、大学を卒業するまで男性との交際経験・性関係はなし。
大学卒業後、大手総合電機メーカーに技術総合職として就職。
高田 修(仮名)

妻と子供がいる既婚者。
身長が180センチ近く、ハンサムなスポーツマンで職場の女性の注目の的だった。
有紀恵が入社した大手総合電機メーカーにて勤務。
雅子(仮名)

高田の妻。
高田とは職場で出会い、結婚。
事件当時、長女(6歳)・長男(1歳)とともに、日野市の公団住宅で暮らしていた。
有紀恵と高田の出会い
事件の一番はじめのキッカケである不倫関係のはじまりは、高田が勤務する大手総合電機メーカーの職場に有紀恵が入社してきたことにある。
2人は最初、上司と部下の間柄であったが、次第に親密になっていき、デートを重ねる関係となった。

会社に入社当初、有紀恵は実家から2時間かけて職場まで通っていたが、高田とデートするために日野市のアパートに引っ越すほどであった。
転機:高田の妻の雅子の流産
2人がさらに親密になる転機は、高田の妻である雅子が流産したことにあった。
この妻の流産で高田は大きなショックを受ける。
そして、有紀恵がそれに同情する形で、2人の関係はますます親密になっていくこととなった。

初めて関係を結ぶ:多摩川花火大会
そして、有紀恵25歳の誕生日の前日、多摩川で花火大会があった。
その時に、高田は有紀恵に誕生日プレゼントを渡し、有紀恵のアパートではじめて関係を結ぶこととなる。

離婚を巡る駆け引き、中絶
高田の甘言
高田と有紀恵の不倫関係が深まる中、高田は妻の雅子のことをこう話すようになった。


有紀恵は高田のこの言葉を聞いて、高田との結婚を意識するようになった。
高田の無神経
一方、高田は無神経な面もあった。
あるクリスマスイブの日、高田は会社を終えると、有紀恵のアパートを訪ねてこう言った。

それに対して、有紀恵はこう言うしかなかった。

有紀恵の中絶(1回目)
そして、しばらくして有紀恵は1回目の妊娠をした。
しかし、高田に次のように言われて、中絶することとなった。

この中絶の理由は、その頃、高田の妻の雅子の臨月が近かったからである。
有紀恵は避妊について、後にこう述べている

ただ、有紀恵はこの後、「もう二度と中絶手術を受けたくないから、今後は必ず避妊してほしい」と要求したが、高田は「わかった」と言うものの、実際は避妊を拒否することが度々あった。
甘言を繰り返す高田
その後、高田と有紀恵は、水子供養と称して高尾山へ行ったり、鎌倉へ日帰り旅行したり、美ヶ原高原美術館へ一泊旅行するなどした。
その際に、高田は次のように有紀恵に話したりしていた。

単なる浮気じゃない。
おなかの大きな奥さんを引き合わされ、ショックを受ける
そして、その後のある日、有紀恵の実家の近くでソフトボール大会があり、高田は有紀恵を誘った。
有紀恵は実家に帰る予定があったので、グラウンドに寄った。
そこで、高田は長女を連れて大きなおなかを抱えた妻の雅子を有紀恵に引き合わせた。
有紀恵は、「初めまして。北村と申します」と挨拶はしたものの、そのあとは気持ちが動揺して言葉にならなかった。

あまりの衝撃に、有紀恵は足が震えた。
実家に帰る途中、車を停め、何度か胃の中のものを吐いてしまった。
離婚を迫る有紀恵
翌日、高田は有紀恵と次のようなやりとりを交わした。

すまない!許してくれ!
それに対して、有紀恵は

と言った。
高田はしばらく考えて、次のように言った。

少し考えさせてくれ。
膨れる、危険な罠
その後、妻の雅子は実家に里帰りをする。
そして、その里帰りしている1か月半もの期間、高田は有紀恵と夫婦同然の暮らしをしていた。
その後、妻の雅子は長男を出産後して上京したが、高田は有紀恵に次のように言っていた。

しかし、この言葉が実行されることはなかった。
有紀恵の中絶(2回目)
その後、有紀恵は2回目の妊娠をする。
しかし、高田から再度の中絶を要求される前に、自らの意志で中絶を決意。
この頃には、有紀恵は高田との不倫関係を終わりにさせる気持ちも強まっていた。
ついに不倫が発覚
そのような折、妻の雅子に不倫が発覚する事態が起きる。
それは、高田が出勤後、妻の雅子が友人のところに電話しようとリダイヤルしたところ、なぜか有紀恵の電話につながり、「はい、北村です」という声が返ってきた。
そして、夫の浮気を直感した雅子は、高田に問いただしたところ、高田は不倫の事実を認めた。
妻 雅子による夫への激しい叱責と、不倫相手への非難
不倫が発覚し、妻 雅子から夫への激しい叱責(夫に対して土下座をさせて平手打ちをした)もあって、不倫関係は解消されることとなった。
そして、非難の矛先は不倫相手である有紀恵にも向けられ、これに対して有紀恵は謝罪をした。

なお、有紀恵はこの時になって、「妻と離婚の話を進めている」という高田の言葉が全て嘘だったことを知らされることとなる。
執拗に繰り返される非難
ただ、妻 雅子から不倫相手である有紀恵への非難は一度で終わらず、電話での激しい非難はその後も毎夜のように繰り返し続き、次第に有紀恵は精神的に不安定な状態になっていった。
この時、有紀恵は不眠症と食欲減退から、1週間~10日で体重が10キロ以上も減少するほどであった。
雅子による中絶への嘲笑
そして、有紀恵は、雅子から次のように嘲笑されたことがキッカケで、高田夫婦への憎悪が燃え上がることとなる。

有紀恵の燃え上がる憎悪


家事調停を起こすも、ついに事件は起きる
その後、家事調停を起こすなどの経緯はあったが、ある日の早朝、事件は起きることとなる。
いつものように出勤する夫と、それを駅まで見送る妻。
そして、その様子を見届けた後、有紀恵は合鍵を使って高田夫妻の自宅に侵入し、ガソリンをまいて火を放ったのだった。
直後に起きた爆発に有紀恵は吹き飛ばされ、しばし意識を失う。
だが、目を覚ました有紀恵はスニーカーを片方現場に残したまま逃走した。
その頃、爆発、全焼した高田夫妻の自宅では、壮絶な姿で亡くなった2人の子供たちの亡骸が残されていた。
裁判
その事件の約2か月後、有紀恵は父親とともに、警視庁日野署に出頭する。
そして、その後、最高裁まで争った末、有紀恵の無期懲役が確定することとなった。
この無期懲役が確定するに至る過程では、有紀恵が控訴・上告したことによって、確定まで年月を経ることとなったが、最終的には当初求刑の通りの無期懲役が確定する結果となった。
子供に対する殺意の有無
この裁判において、争点となったポイントは、子供に対する殺意の有無が挙げられる。
まず、有紀恵が子供に対する殺意があったことをうかがわせる点として、当時発行された新聞に、有紀恵の次のような供述が掲載されている。
新聞に掲載された有紀恵の供述


読売新聞 1994.2.4
一方、有紀恵は後に手記で「審理の内容にはまったく納得していません」と述べている通り、特に子供に対する殺意の有無に関する審理に対して、納得していなかった点がある。
この点について、有紀恵本人としては「子供を殺すつもりではなかった」と主張したい・思いたい点はあるだろうが、何とも言えない。
また、高田との不倫関係や、高田の妻からの激しい叱責によって心神耗弱していた点を考慮して減刑するよう訴えたが、この点についても考慮されることはなく、結果的には当初求刑された通りの無期懲役の判決となった。
その後の後日談
この事件では、後日談として様々な噂や報道がされている。
主な内容は次の通り。
高田は事件後、依願退職させられたが、妻と離婚することもなく、一男一女をもうけている。
その後、高田夫妻は東京を離れ、東北南部に移住する。
有紀恵の家族
また、有紀恵の家族も、事件後、贖罪の日々を過ごすこととなる。
有紀恵が逮捕されて大々的な報道が始まってからは、有紀恵の家族は外出もままならないような生活を余儀なくされ、父親が自宅で経営していた製版所は、その後、閉鎖することになった。
費用面からも、裁判費用や、被害者遺族などへの補償、火災にあった団地住民への金銭的補償、賠償金の支払いなどが行われた。
また、有紀恵の父母は、その後も犠牲となった子供たちが埋葬された寺を繰り返し訪れたが、それが高田夫妻の知るところとなって、子供たちの遺骨が別の場所へ移されることとなる出来事などがあった。
有紀恵のその後
有紀恵は無期懲役の受刑者として、2018年現在においても収監されている状況となるが、2016年9月に2種2類という区分に昇格したとある。
この区分になると、外部に電話することが可能となることや、居室に鍵をかけなくてよくなる。
また、テレビの視聴に制限がなくなったり、面会の制限もかなり緩和される。
収監されると5種5類からはじまり、数字が小さくなるほど優遇されるようになるが、2種2類に区分されているということは受刑者として優良であると評価されていることがうかがえる。
参考情報
日野OL不倫放火殺人事件が起こった日
1993年12月14日
日野OL不倫放火殺人事件が起こった現場
東京都日野市程久保650-36UR高幡台団地36号棟401
参照・引用サイト
http://www.maroon.dti.ne.jp/knight999/hino-ol.htm
http://blogos.com/article/233909/
https://www.orangehoppe.com/hinoolfurinhokasatsujinjiken-kitamurayukie/
当サイト管理人からのコメント
最後に、この事件についてインターネット上で集めた口コミを見ると、「子どもに罪はない」という意見や、有紀恵・高田夫妻に対する意見や感想も様々に見られました。
そして、このことからも、この事件は単に凄惨な事件であったというだけではなく、様々な教訓を残す事件であったと言えます。
そこで、ぜひ多くの方々にこの事件を知ってもらい、皆さんそれぞれに考えて頂きたいと思います。